☆お狩場由来☆
お狩場由来

記録に残る蔵王の大巻狩 は十回近くその他随時小巻狩 が行われている。それによれば仙台青葉城山立猟師を呼び大地図を前に殿の御前で狩の作戦を練る狩には厳重な軍法に従え、山法令を発命し、武士の戦場慣らしの兵を兼ね田畑を荒す害獣駆除と武具用皮革の調達等の多くの目的があった。
藩主公が直々狩場に乗り込むのは十二月から一月、二月の厳寒に期である。
狩総奉行は片倉小十郎総人三千五百四人名組を組織し隊毎に印の旗を掲げて行動する砲の合図で一の巻二の巻と巻き込みを開始する面々は一晩中雪中にあって、も凍死しないという『雪はかま』足袋にキガンジキをはき、積雪の上を自由に走り廻り、勢子の上を飛び、越すシカの郡を追い詰めて、し止めて正午には駆り納め山神を祭り獲物を供えて供養を行い、山の鎮めとした藩主公は時には七日原に野鳥を追い駆け山という追従、戦技も試みた高原のニケ森に『鹿千供養塚』三住に『鹿二千供養塚』と彫った碑は仙台藩主が供養していたものである。
当館の先祖も山立猟師も名手であり今の十一代店主もまた、狩人で名の知られた腕前ときく。お狩場の食事には当家の豆腐料理を殿に差し上げ、たいそう満悦なされ、以来御前豆腐として今もなお、夫人が受け継いでいる。
店主敬白

記録に残る蔵王の大巻狩 は十回近くその他随時小巻狩 が行われている。それによれば仙台青葉城山立猟師を呼び大地図を前に殿の御前で狩の作戦を練る狩には厳重な軍法に従え、山法令を発命し、武士の戦場慣らしの兵を兼ね田畑を荒す害獣駆除と武具用皮革の調達等の多くの目的があった。
藩主公が直々狩場に乗り込むのは十二月から一月、二月の厳寒に期である。
狩総奉行は片倉小十郎総人三千五百四人名組を組織し隊毎に印の旗を掲げて行動する砲の合図で一の巻二の巻と巻き込みを開始する面々は一晩中雪中にあって、も凍死しないという『雪はかま』足袋にキガンジキをはき、積雪の上を自由に走り廻り、勢子の上を飛び、越すシカの郡を追い詰めて、し止めて正午には駆り納め山神を祭り獲物を供えて供養を行い、山の鎮めとした藩主公は時には七日原に野鳥を追い駆け山という追従、戦技も試みた高原のニケ森に『鹿千供養塚』三住に『鹿二千供養塚』と彫った碑は仙台藩主が供養していたものである。
当館の先祖も山立猟師も名手であり今の十一代店主もまた、狩人で名の知られた腕前ときく。お狩場の食事には当家の豆腐料理を殿に差し上げ、たいそう満悦なされ、以来御前豆腐として今もなお、夫人が受け継いでいる。
店主敬白












